【全8回】Chapter.1/根幹にある想い





~コロナによって崩壊した企業が上場を果たすまでにやったこと~



上場してから1年が経過します。

2020年に起きたコロナ禍からの怒涛の日々がやや落ち着きをみせはじめた今、CS-Cの創業から今日に至るまでの歴史を振り返り、未来の自分たちのためにも書き留めてみました。


コロナの影響を甚大に受け、2020年には存亡の危機に立った会社が2021年には過去最高益を出し、さらに上場を果たすことができたのはなぜか。

そもそも、CS-Cとはいったいどういう会社なのか。


これまでの11年間は決して順風満帆ではありませんでした。

これまで語ってこなかったストーリーをご覧いただき、ひとりでも多くの方にCS-Cを知っていただくきっかけになれば幸いです。



根幹にある想い


僕は福島県南相馬市の出身です。


日本に数多くある田舎の典型のような街で育ちました。人口減、高齢化、シャッター通りといった、生まれ育った街の過疎化が進んでいくのを目の当たりにしていたことから、いつかは地元を元気にしたい、活性化したいという想いを抱くようになります。



その後、大学進学を機に上京し、株式会社ベンチャー・リンクでキャリアを積んでいきます。


ベンチャー・リンクでは店舗コンサルティングを経験した後、「店舗×デジタル」をテーマに店舗向けIT事業、メディア事業の責任者を歴任しました。


また、地域活性化に関心が高かったため、民間でのキャリア以外にも政治の世界に飛び込んで自分の想いを実現させることも考えていました。


しかし政治の世界を調べれば調べるほど、自分の想いを実現させる過程にいくつもの壁があり、相当な時間を覚悟しないといけないことがわかり、民間での道を選択することにしました。


自分の想いを具現化している会社を調べてみましたが、そのような会社は存在しません。


だとしたら自分で会社をつくろうとなり仕事をしながら起業の準備を始めていました。


そんなある日、とても大きな出来事が起きます。


絶望の中で味わった強烈な無力感


2011年3月11日。

生まれ育った福島を東日本大震災が直撃しました。



南相馬市にある実家は市街地だったので津波の被害こそなかったのですが、原発の影響により家族は避難生活を余儀なくされました。


3月11日からの数日間の自身の感情を言葉で表現することはなかなか難しいのですが、一言でいうと絶望的な無力感です。

地震の影響でライフラインが断たれ、原発の影響で見えない恐怖に包まれている家族のことを思うと、東京からすぐにでも福島へ向かいたい気持ちでした。


ただ、当時は電車や道路は使い物になりません。


地元に帰りたくても帰れない。


朝から晩までテレビをかじりつくように眺め、最新情報を集めるも、何もできない日々。



原発の放射能により、家族が生命の危機に瀕しているにも関わらず、何もすることができない自分に対して強い怒りを感じると同時に、絶望的な無力感に襲われました。


そしてこの時に心の底からこう思いました。


「有事にまわりを守れる強さと優しさを持てる人間になりたい」



余談ですが今でも3月11日を迎えるたびに「今の自分はどれだけの人を支えられているだろう?」と考え、自身が進んでいる道が正しいかどうかを確認するようにしています。


社員数やその家族の人数が僕にとってのバロメーターです。





この震災で決意したことを明文化するため、1週間も経たないうちに企業理念と社名を決めています。


当時の想いはCS-Cの理念となり、今も変わらず強い決意のままです。



また、震災をきっかけに地域復興への想いがさらに強くなりました。

日本は強烈な中央集権国家ですが、そのモデルは完全に現状とズレており、アメリカやドイツのようにそれぞれの地方がそれぞれの意思で組織を運営するスタイルが日本が復活するための国家戦略だと考えています。


そのためにCS-Cは地域の活性化をさせることが、いずれ大きな貢献につながると確信し日々を過ごしています。